フランスの大学に出願が間に合わなかった、志望大学にすべて落ちた私がそれでも大学に入るまで ~執念の大学入学編~

フランスの大学に出願が間に合わなかった、志望大学にすべて落ちた私がそれでも大学に入るまで ~執念の大学入学編~

Bonjour à toutes et à tous ! こんにちは!フランスの大学で歴史を勉強している、元パティシエのほーしーです!今回は私がフランスの大学に入学するまでのブログの第三段。あまりに計画性に乏しくて、参考にならないかもしれませんが、人生がうまくいかなくて落ち込んでいる人のほんの少しの元気の素になればと思って書きたいと思います(^^)/ 私が大学をに入ろうと思うにいたる動機編はこちら、具体的な出願手続きに関してはこちらをご覧ください。

大学の出願に間に合わなかった

まず一番情けないというか、合否以前に論外なのですが、私が大学への進学を考えて出願手続きを調べたとき、すでに大学の出願期間を4日ほど過ぎてしまっていました。その頃の私はフランス語のレベルも十分ではなかったので、必要な情報に辿り着いて複雑な内容を理解するのにも時間がかかったのです。

今思えば普通はその時点であきらめて、また来年の出願を考えるのでしょうが、どうしても語学学校にあと一年通うのが嫌だった私は(金銭的にも難しく)、徹夜で志望動機書を書き、翌日だめもとで第一志望の大学に直談判しに行くことにしたのです。

不足していた必要書類

そして私のさらに悪いこと、反省すべきところには、出願時点で必要書類が全て揃っていなかったことです。 日本の大学入学証書はぎりぎり取得できていたものの法廷翻訳がなく、高校の卒業証明書は翻訳付きで持っていたのですが、その成績証明はまだ手元にありませんでした。

おまけにこの時点でフランス語のレベル証明は何もなく、2月に受験予定のDELF B2の受験票があっただけ。出願書類を読むまで存在すら知らなかったTCF-DAPの受付もすでに締め切りを過ぎてしまっていました。 そうなんです。この時点でもう信じられないくらい色々なものが足りていなくて、かなり絶望的な状況だったのです。

大学に直談判

ちなみに通常、当然ながら出願は期間厳守でなければ受け取ってもらず、書類も全て揃っていなければいけません。大学出願の手引きにも“出願期限を過ぎたものはどのような追加出願も受け付けない”と念押しされています。 とりあえず既にかなり気落ちしていたのですが、何もしないで諦めるよりはマシだ、と、できる限りの出願書類をもって第一志望だったパリ第10大学(ナンテール)へ行きました。

出願について質問があるのですが、と数人に聞いて私が行きついたのは外国人学生課でした。午後14時頃の昼休憩から事務所が開くのを待っている間の緊張は耐え難いものでした。 中へ通してもらうと受け取ってもらえない覚悟だったので、

ほーしー
ほーしー
遅すぎるのはよくわかっているのですが…

と苦々しく願書をもってきたことを伝える私。すると、受付のお姉さんは、

あぁ!遅すぎるわよ…!
大学の担当の人
大学の担当の人

やっぱりだめか…! それでも願書を持ってきた子がいると奥の部屋の責任者らしきマダムを呼びにいってくれたお姉さん。 いらだった様子で出てきた責任者らしきマダムが、再び私の願書の束を手に取ると、

ありえないわ!遅すぎるわよ!
大学の担当の責任者のマダム
大学の担当の責任者のマダム

と一言。それは重々承知なんです…。

ほーしー
ほーしー
遅すぎるのは分かっているんです!どうかそれでも受け取ってもらえないでしょうか…!出願に関する情報に辿り着くのに時間がかかってしまったんです…どうかお願いします!

もうここでは半ベソで思いつく限りのお願いの言葉をならべる私。すると、私の願書に軽く目を通したマダムが私の目を見て、

繰り返す必要はないわよ!受け取るわ。
大学の担当の責任者のマダム
大学の担当の責任者のマダム

力強いマダムのセリフ。あの時の感動は今でも忘れられません。 やった!とりあえず願書を提出できた!!

高校の成績証明の重要性

しかしその後、最初のお姉さんと書類チェックをし、つぎの問題は足りない書類たちでした。語学レベルの証明としてはDELFの受験票のコピーを受かる前提として提出し、後から結果を送るかたちになりました。 むしろここで問題だったのは、高校卒業証明書に成績証明がついていなかったこと。

フランスのバカロレアと完全に同等ではないけれど、同じような役割をするのがこの成績です。フランス語能力の証明は大学出願の条件の単なる目安で、実際の選考はこの成績を元にされるとのことでした。なので「成績がない高校の修業証明なんてありえない!」とにかく、その他の足りない書類、法廷翻訳もふくめでき次第提出することになりました。

ちなみに、フランスと日本では成績のつけ方が違います。フランスではバカロレアの成績も20点満点評価でそれをさらに、

Parfait, 20. — Très bien, 19, 18, 17. — Bien, 16, 15, 14. — Assez bien, 13, 12. — Passable, 11, 10, 9. — Médiocre, 8, 7. — Mal, 6, 5, 4. — Très mal, 3, 2, 1. — Nul, 0.】

と表記されます。しかし日本の成績のつけ方は5段階評価から10段階評価など学校によってまちまちだと思うので、可能であれば自分の母校に成績証明を依頼する際は何点満点の採点なのか、外国人から見てもわかるよう記載をお願いしてみるといいと思います。

DELF B2受験

とりあえず願書が受け付けてもらえたので、足りない書類は急遽手配し、あとはB2の試験を受けるだけ!この時の私は語学学校のB2のクラスに在籍していて、クラスではかなり話せる方、担任の先生からも君なら大丈夫だよ!と言ってもらえていたので、内心かなり気が緩んでいました。B2さえ受かれば大学に行ける!と舞い上がっていたのです。

地方で受けた方が試験が易しいという情報を聞いてルーアンまでDELFを受けに行きました。手ごたえはまずまず。筆記は苦手だったけれど、口頭試験でカバーできたと思っていました。 そう。その数週間後、自宅に不合格の通知が届くまでは…

落ちたDELF B2

なんと45.5点という思ったよりもかなり足りない点数でB2に落ちてしまったのです。今思えばフランスに来て約2年、フランス語はかなり上達しただろうという慢心と完全なる対策不足のせいです。恥ずかしさと悲しみでいっぱいになりました。

この結果が出たのが3月半ば、もうどんな語学試験の受け直しも間に合いません。そうこうしていると、パリ第10大学(ナンテール)の事務所から不足書類の催促メールが。成績証明の翻訳は何とか間に合っていたのですが、DELF B2の合格結果がありません。それで仕方がないのでこのB2不合格の結果を送付しました。

大学合否発表

最低ラインのB2合格がないうえに本来ならばあり得ないバラバラの追加書類提出で、せっかく受け取ってもらえた願書も選考してもらえないんじゃないか。さらにはある人はB1レベルの証明でも合格したという話や、B2でも60点以上ないと受からないなんて言う様々な情報が周りに飛び交い、不安だけれど一縷の望みを捨てられずにいる状況が続きました。

そして予定されていた発表時期から2週間ほど遅れた4月下旬、遅れた私の願書を受け取ってくれたパリ第10大学から不合格の通知が届いたのです。

それでも諦められないフランスの大学進学

しかしこの不合格通知にもう審査すらしてもらえないだろうと半分諦めていた私は、“やった!結果はどうであれ審査してもらえた!”と逆に喜びました。不合格判定の理由欄には語学のレベルが不十分と書いてあったので、諦めの悪い私は “逆に語学のレベルさえ満たせばまだ可能性はあるのではないか” と、6月にあるDELF B2に再挑戦し大学に再選考の嘆願書を送ることにしたのです。

実際に修士の入試で、嘆願書が通って不合格がくつがえった例を聞いていたので希望はありました。

二度目のDELFB2受験

もう失敗することはできない。崖っぷちだった私はB2を60点以上の合格を目指して、今度は前回より入念に対策をしました。(DELF B2対策記事はこちら) 結果は合格!! 落ち続けの試験結果はもう沢山だったのでとりあえずホッと胸をなでおろすことができました。

 

自然なフランス語表現を身につけるために仏仏辞典を使うのがおすすめです。Compréhension orale et écrite のレベルアップにも繋がります。仏仏辞典の入門としては、『ラルース やさしい仏仏辞典(Niveau 1 et 2)』がイラスト付きでとっつきやすいのでオススメ 🙂

 
 

嘆願書(Lettre de recours)

さぁ、B2の証明が手に入ったので後は大学に手紙を書くのみです。 そうこうしている内に第二、第三志望の大学からも無事に(?)不合格通知が届きました。不合格理由はいずれもフランス語のレベルが不十分。

でも今はならいけるはず! 志望動機書も前回のものは徹夜一晩仕上げだったけれど、今回は入念に書き直してフランス語ネイティブの友達2人にもチェックをしてもらいました。 手紙はDELFの結果に加え、語学学校でのB2の成績表とフランス文明講座の良かった成績証明もつけ、メールで各大学の学長と事務所に直接送信しました。 後は返事を待つだけです。

待てど暮らせど来ない返信

手紙を送ったのがちょうど7月上旬、大学がバカンスで閉まってしまう頃だったので返事は8月末のバカンス明けまで待たなければいけないだろうと予想していました。 ところが8月末、9月になっても大学からいっこうに返事はありません。 大学の学長室に電話をかけて確認すると、確かにメールは届いているけれど返事はそのうち来るだろうから待っていてという事でした。そうこうしている内に新学期が始まってしまいます。 仕方がないので、不合格通知に再選考の嘆願書一式を持って、再びパリ10大学に行くことにしました。

パリ第10大学(ナンテール)再訪問

行きつく先は再びあの外国人学生課です。 前回と同じお姉さんに迎えられ、

一度不合格になったけれどB2に合格したから再選考をお願いして返事をまっているんです。

と伝えると、お姉さんは私を覚えていてくれて、また前回と同じように責任者のマダムを呼びに行ってくれました。 あのマダムが現れます。しかし厳しい表情で、

あなた一度不合格判定をもらったんでしょう?無理よ、リサンス(学部)の選考は終わっているのよ。リサンスはマスターと違って人数が多すぎるし、たとえどんな人であっても再選考はありえない!どこの大学だとしてもリサンスの再選考は絶対にしないと決まっているのよ。私たちはもう戻れないの。他のフランス人もみんな同じなのよ。
大学の担当の責任者のマダム
大学の担当の責任者のマダム

「もっと早くB2をとっていれば…B1でも受かった学生がいたのに…」と何度も私の書類を見返して悔しそうな顔をするもう一人のお姉さん。 「出願をするときに判定内容に異議を唱えないという紙に署名したでしょう?」 この2人が私を無下にする為に言っているのではないこと、確かに合否判定を受け入れる書類にサインしたこと、大学に再選考の余裕がないこと、自分の準備が遅すぎたこと、自分のフランス語力が足りなかったこと、全部よく理解できたのに、それでもまだ諦められない気持ちと、絶対今年大学に行く!という行き場のない思いから

ほーしー
ほーしー
でも…ここには落ちた理由が語学のレベルが十分ではないと書いてあって…今はB2に受かったんです…今年大学に行きたいんです…

と、自分でも言っても仕方がないと分かっている言葉をくりかえしている内に涙が溢れてきました。 まさか30歳にもなって公の場所で泣くなんて恥ずかしい限りです。でも涙は止まりません。

あまりの私の意気消沈っぷりに、マダムも焦って隣に座って来年また挑戦すればいいじゃないかと励ましてくれました。こういう時のフランス人は本当に親身で、情に厚い人が多いのです。 それでも、今年でなければダメな理由、経済的に語学学校に行き続けられないこと、政府の学費改革で上がる大学の学費が払えないこと、日本に帰らなければならないことを話しました。 するとしばらく考えた後、マダムから最後の提案がありました。

サンドニに行きなさい。
大学の担当の責任者のマダム
大学の担当の責任者のマダム

 サンドニはパリの北にあるパリ8大学です。 

サンドニなら9月に追加の募集をしているはずだから。
大学の担当の責任者のマダム
大学の担当の責任者のマダム

そのマダムとお姉さんに見送られ、ひどく落ち込んで家に帰り、本当に9月に出願できる大学があるのかと半信半疑でしたが、藁にもすがる思いで翌日パリ8大学まで行くことにしました。

パリ第8大学(サン・ド二)

パリ第8大学(サン・ドニ)はパリの北郊外、治安が悪いことで有名なところにある大学で、正直あまり良いイメージがありませんでした。でも今年大学に行けるなら、背に腹はかえられません。(今思えば失礼な話で良い大学です) 大学に到着し、外国人学生課を探します。ちょうど新入生のオリエンテーションの時期です。

仮設の案内の学生ボランティアらしき人に聞くと、外国人学生課は知らないけど何の用かと聞かれ、とても言いにくかったのですが、私はまだここの生徒ではないけれど願書がまだ出せるか聞きに来たことを伝えると、なんと 「あぁ、それならそこの建物よ。でも午前中しかやってないからまた明日になるわ。」 との回答が!そんなに大々的に受け付けてくれているのか! 聞き間違えかと思って再度確認したら本当でした。

パリ第8大学(サン・ドニ)特例出願(Dérogation)

かくして、パリ第8大学(サン・ドニ)に特例出願(Dérogation)できるようになった私。もちろん募集している学科は定員に空きがあるところのみなので限られていましたが、私が入りたかった史学科は幸運なことに(?)まだ空きがありました。 結果発表は10月の上旬。 図書館で勉強していたところにパリ8大学から電話がかかってきて飛び上がりました。 「あなたの願書が受け入れられました」と電話先の女性。 思わずお礼を言ってしまい、どういたいしまして、と笑われました。 何度もあきらめかけた大学にようやく合格できたのです!

パリ第8大学(サン・ドニ)について

パリ第8大学は別名 Université Vencennes Saint-denis(ユニヴェルシテ・ヴァンセンヌ・サン・ドニ)といい、パリ大学の中では比較的新しい大学で、映画や芸術、近代哲学などの研究が盛んな大学です。外国人の学生も多く受け入れており、マクロンの外国人学生に対する学費値上げに対しても反対運動をしている左翼の学風で有名です。 私の通っている史学科は少人数制の授業で先生との距離が近く、日々フランス語の問題には悩まされていますが、授業内容にもとても満足しています。

まとめ

以上がいくつもの不合格の末にたどり着いた私のフランス大学入学のストーリーでした。 計画性に乏しく、見た人からお叱りを頂いてもしょうがない内容だと思うし、遅れた一学期を取り戻すのは大変なので誰にもオススメできない話です。 でもいつも計画通りにいかないのが人生! もし色々な理由で大学進学(フランスに限らず)を悩んでいる人にはぜひ諦めずチャレンジしてもらいたいと思います! とにかく試験に落ちるたびに励ましてくれた友人やたーしー、サンドニに行くように勧めてくれたパリ第10大学(ナンテール)の外国人学生課のマダムたちには感謝でいっぱいです。 頑張って勉強して立派なHistorienneになるぞー(^^)! A bientôt!!

 

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