ナヴェットの意味とその歴史。南フランスに漂着した小舟のお菓子。

ナヴェットの意味とその歴史。南フランスに漂着した小舟のお菓子。

Bonjour à toutes et tous! この度ブログを合併し、このサイト、パリパリマセマセの中で「お菓子史」を継続していきたいと思います、ほーしーです(^^)! さて、今年の夏は友人にお招きいただき二度も南仏を堪能する機会に恵まれたのですが、そこで出会ったお菓子たちについてお話したいと思います。まず最初はこちら!【Navette(ナヴェット)】!

アヴィニョンでみつけたナヴェット

Navette(ナヴェット)とは?

Navette(ナヴェット)とは、マルセイユを中心とした南仏のスペシャリテで中央に切り込みが入った小舟型のビスケットである。 外はカリッと、中はほろっとした触感で、 甘さはごく控えめであり、Eau de fleur d’orange(オレンジの花の水)とオレンジ、又はレモンの皮が良く香る素朴な見た目以上に風味豊かなお菓子である。糖分、油分の少なさから、焼き色は白めの場合が多い。

ナヴェットを買った場所

ヌガーやボンボンなど、お土産用のお菓子が並ぶお店では、小ぶりな型で焼かれ風味もショコラからフルーツまでカラフルな彩りのものも見かける。しかし実際に切り込みが入っていないナヴェットに私はそそられなかった。 私が思わず買ってしまったのは、 Avignon(アヴィニョン)の市場、大きなガラス瓶には量り売りでゴロゴロっと売られていたブーランジュリーのもの。12センチ程の大きさで、価格は2€前後だったと思う。この地味な見た目をはるかに上回る香りと美味しさに驚いた。

アヴィニョンのレ・アル(中央市場)のブーランジュリーパティスリー

ナヴェットの歴史

舟の形を模したナヴェットの起源には一つのキリスト教にまつわる伝説がある。歴史は一世紀にさかのぼる。キリスト磔刑のあと、キリストの弟子たちはパレスチナを追われ、帆も櫂もない船に乗り流された。流され着いた場所はローヌ川の河口、ちょうど今のカマルグがある辺り。そこでこの船に乗っていた内、二人のマリー(Sainte Marie-Jacobé, Sainte Marie-Salomé(※彼女たちは聖母マリアとは別なので注意!))がこの土地に残り、それがそのままSaintes Maries de la mer(サント=マリー・ド・ラ・メール)今の町の名前になっている。キリスト教巡礼の地として名高く、砂浜の美しい町である。そしてその他のキリストの弟子たちは各地に布教のため散っていき、その中でもキリストの友であり貧困者の守護聖人であるSaint Lazare(サン=ラザール)はマルセイユの司教になった。それが漂着した舟を模したお菓子、ナヴェットがマルセイユで作られるようになった理由だ。このナヴェットは別名“ナヴェット・ド・サン₌ヴィクトール” などとも呼ばれ、かつてはマルセイユ、サン=ヴィクトール修道院の前で信者によって販売されており、1781年、Aveyrous(アヴェイルス)というパン職人が現在の形にしたそう。伝統的には2月2日の聖燭祭(聖母マリアが生後40日後にイエスを初めて神殿に連れ、自らは産後の汚れを清めたとされる)に食べられ、またはプロヴァンスの伝統、クリスマスイヴに食べるトレーズ・デセールと呼ばれる【13種のデザート】にも欠かせない存在である。

ゴッホの描いたサント・マリー・ド・ラ・メール
十字架が特徴的なサント=マリー・ド・ラ・メールの教会

私の想うナヴェット

南仏で幅広く作られているため、ナヴェットのルセットは場所、人によって様々。 マルセイユ風は円筒状で固め、プロヴァンス風は端すぼみ型で柔らかめ。バターを使うルセットもあるが、私はあえてオリーブオイルを使いたい。酪農が盛んではない18世紀の南仏ではオリーブオイルを使う方が自然だろうし、何より濃厚なバターよりもオレンジの花の水と柑橘の香りを際立たせるのに良いだろう。焼成は中心まで完全に乾かさずに180度以上でほっくり、優しい触感に焼き上げたいというのは私の好みである。

 

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