フランシス・ラランヌ(Francis Lalanne)〜フランス現代詩人を読む〜

フランシス・ラランヌ(Francis Lalanne)〜フランス現代詩人を読む〜

ボンジュール、パリマセのたーしーです。最近ブログを放置気味でしたが、また更新を再開していきたいと思います。

今日は、詩人フランシス・ラランヌ(Francis Lalanne)を紹介します。以前クリストフ・タルコスについて書きましたが、同じような試みです。誰かがラランヌの名前を日本語のグーグルで検索したときに、関心をもってくれることを期待しつつ……。

フランシス・ラランヌ(Francis Lalanne)について

フランシス・ラランヌ(Francis Lalanne)を知ったきっかけは、彼がトリスタン・ツァラ賞を受賞していたからでした。この賞は、日本でもかなり有名なミシェル・ウエルベックも受賞しているものです。受賞者すべてを読破できていませんが、面白い詩も多いです(特にオリヴィエ・バルバランとか)。ウィキペディアに過去の受賞者リストがあります。が、これによると2004年で賞は止まっているのでしょうか……?

さて、そんなフランシス・ラランヌは、いくつもの顔をもっています。詩人としてはもちろん、シンガーソングライター、俳優、活動家としても知られています。最近だと政治家として立候補していました。簡単な生い立ちをはじめ、彼の活動をざっと見てみたいと思います。

コスモポリタンな家族

ラランヌは1958年8月8日にフランス南西のヌーヴェル・アキテーヌ地方の町、バイヨンヌに生まれました。

家族構成が、彼のコスモポリタニズムを育んだように思われます。母方の祖父母はレバノン人、父方の祖父母はベアルン地方出身(現在のピレネー=ザトランティック県のあたり)で、母はウルグアイに生まれ、父は国際連合(Nations unies)の外交官でした。

また兄弟が二人いて、ジャン=フェリックス・ラランヌ(Jean-Félix Lalanne)は作曲家、ルネ・マンゾール(René Manzor) は映画監督です。兄弟の影響か、フランシス・ラランヌは自身も映画を作ったり、演劇に出演したりもしています。彼の多様な芸術活動には兄弟の影響があるかもしれません。

音楽家としてのフランシス・ラランヌ

フランシス・ラランヌは、おそらく、ミュージシャンとして一番よく知られているのではないでしょうか。

マルセイユのコンセルヴァトワールの授業を取りつつ、フランシスは兄弟と3人で音楽活動をした時期もあったようです( « Bibi Folk »)。

その後、パリのソルボンヌ大学で現代文学を学ぶ傍ら、老人ホームや刑務所で歌う活動をフランシスは続けます。1979年には、初めてのアルバム « Rentre chez toi » がリリース。このアルバムは、フランスで注目を集めました。
その後も « On se retrouvera » や « Reste avec moi » などのヒット曲を作りました。また、2014年には Léo Ferré にオマージュを捧げたCDなども出しています(Carré blancとの共作)。

社会運動家としてのフランシス・ラランヌ

また、社会的、政治的活能にもフランシス・ラランヌは積極的に参加しています。地球上の限りある資源を、国家を超えて共有する思想に基づいた « la citoyenneté mondiale » (« le citoyen du monde ») と自身をみなし、環境保護を呼びかけているのです。彼の « Dépolluer la planète » などの楽曲は、かなり直接的に環境について歌い上げています。

選挙に際しては、2007年6月にはバーラン県の第二行政地区から立候補しています(Mouvement écologiste indépendant 公認 « investiture » )。以降も、環境に関わる運動のために、様々な政治活動を繰り広げています。

もっと最近だと、2021年1月には、FrancSoir (多くのメディアからいわゆる「陰謀論」的だと言われているウェブサイト)にて、「圧政に対するフランス国民の動員」を呼びかけ、エマニュエル・マクロン大統領の退陣を要求しました。同時に、差別的で自由を侵害する政策によって打撃を与えられた文化施設や商業施設等の再開を要求しました。これに対してメディア側は、こうした不服従の扇動は何らかの刑に値するのではないかと報じました。21年3月にニースで、コロナ禍にもかかわらず、ハグし合うよう市民に呼びかけたのも波紋を起こしましたね。これらの社会活動には賛否両論あることでしょう。

フランシス・ラランヌ(Francis Lalanne)の作品

詩人、フランシス・ラランヌ

そんなフランシス・ラランヌの文学活動について見てみましょう。彼は何冊かの小説、および詩集を出版しています。
なかでも私は詩に関心があるのですが、彼の詩はどういうものなのか。『愛と言葉について』 D’amour et de mots からいくつかの詩篇を読んでみましょう。

フランシス・ラランヌと「自然」の問題

まず、彼の活動化としての側面とも結びつきますが、「自然」への意識がラランヌの詩の中には確かにあるように思われます

『愛と言葉について』のはじめの部分は(なお、このはじめの部分には 31 mai 1996, Paris 19h 13, A S. Arthuys と打たれている)、ペンギンをモティーフに展開します。ペンギンのモティーフに限らず、各ページに描かれたデッサンや言葉遣いが、植物や動物と結びついています。

この「自然」への眼差しは、場合によっては、近年の文学研究でも盛んに議論されている「エコロジー」の観点から考えることができるかもしれません。

詩の型、文学ジャンルの問題

次に、この『愛と言葉について』という作品が、たくさんの形式の詩によって成り立っっている点にも注目できます。「ロンデル」(Rondeau)、「バラード」(Ballade)、「歌」(Chanson)「童歌」(Comptine)といったフランス、ないしヨーロッパの詩になじみのある多様な形式がひとつの作品に盛り込まれているのです。

さらに日本人としてどうしても惹かれるのが、短歌や連歌といった見出しがいくつかの作品にふられていることです。しかも、これらの見出しは漢字でふられています。次のインタビュー記事で答えているように、ラランヌは俳句に思い入れがあるようです(https://www.journalventilo.fr/linterview-francis-lalanne/)。

どうして日本の伝統的な詩の型が取り入れられているのかはこれから調べていくところなので具体的なことは言えません。ラランヌも編集に関わっているらしい Maurice Coyaud, Tanka Haïku Renga: Le triangle magique (Les Belles Lettres, 1996) には、佐々醒雪や臼田亞浪といった俳人の名前も確認できますが、こういった大正期の俳句もラランヌは読んでいたのかどうか気になるところです。

他者と共に生きるということ

最後に、フランシス・ラランヌの作品には、誰かと共に生きることをほのめかす言葉があることに触れておきましょう。もっともこの特徴は、現代詩の多くに確認できるかもしれませんが。

Ma vie d’homme et puis / Ma vie d’âme avec toi cet / Hiver au printemps
ぼくという男の生命 それと / ぼくという魂の生命 君と一緒にいるこの / 春の冬

この詩句には自分と他者としての「君」(toi)が確認できます。また、生の問題は時間と不可分で、ラランヌにとっては季節の移り変わりと無関係でないように思われます。事実、この詩句にも「この春の冬」(cet / Hiver au printemps)とありますが、別の箇所にも春夏秋冬があらわれます。たとえば、

Septembre pour dire / Automne D’amour et de / Maux nos ailes fument
九月 秋と/言うための 愛と/悪で 僕らの羽が煙を吐く

など。

上の項でみたように、ラランヌは俳句や短歌と日本の伝統的な詩に関心を持っていました。ひょっとすると、季節の中で誰かと生きるというテーマには、これらの日本文学からの影響が多かれ少なかれあるのかもしれません。時間をみつけて、もっと調べてみようと思います。

最後に、ラランヌの詩の中でも好きな詩句を引用しておきます。

D’amour et de mots je veux / Brûler de mes propres ailes
愛と言葉でぼくは/ぼくのこの羽を燃やし尽くしたい

主要参考文献

コスモポリタニズムやエコロジー。そういった観点を踏まえて、じっくりフランシス・ラランヌの詩にそのうち取り組みんでみたいです。また、詩に限らず、彼の諸作品をもっと味わっていこうと思います。

私の知る限り、ラランヌの詩作品の日本語訳を見つけることはできませんでした。あるいは、まずは音楽作品を聴いてみることからラランヌを知るというのもありかもしれません。

  1. Francis Lalanne, D’ Amour et de mots, Les Belles Lettres, 1997.
  2. Maurice Coyaud, Tanka Haïku Renga: Le triangle magique, Les Belles Lettres, 1996.