クリストフ・タルコス(Christophe Tarkos)〜フランス現代詩人を読む〜
- 2021/02/10
- 文学・詩など
ボンジュール、パリパリマセマセのたーしーです。
私の趣味のひとつが「詩を読むこと」なので、面白そうな詩人を見つけては言語にかかわらず読んでいます。そして、興味深いフランス語詩人を発見した時に必ずするのが、その詩人の名前を日本語のグーグルで検索することです。こうすることで日本でその詩人の作品がどれくらい読まれているかを調べるのです。
しかし、悲しいことに、フランスの現代詩人って日本ではほとんど知られてないし、読まれてないんです。こんなに面白いのに……。だから、その紹介をいつかやりたいなと思っていたので、自分の勉強も兼ねて、どうせならこのブログで試しにやってみようと始めてみました。初めての試みなので色々と不手際があるかもしれませんが、都度最適化をはかりながらフランス現代詩に関心を持ってもらえるように続けていきたいです。
記念すべき第一回に紹介するのは、クリストフ・タルコス(Christophe Tarkos)という詩人です。
クリストフ・タルコス(Christophe Tarkos)について
クリストフ・タルコス(Christophe Tarkos)の経歴
南仏に生まれ、政治学と国際関係論を学ぶ
クリストフ・タルコスは、1963年12月5日にマルセイユに近い Martigues に生まれのフランスの現代詩人です。2004年11月29日に40歳という若さで亡くなりました。彼は自分の生い立ちを撹乱する傾向にあり Morceaux choisis のような作品には Biographie として別の情報を書いています。
Institut d’Études politiques d’Aix-en-Provence で学んだのち、パリに上京し、Insititut des relations internationales の講義を suivre しました。エクス・アン・プロヴァンスに戻ったのち、現代文学の学士号を取ろうとしましたが断念し、CAPES のコンクールを受験、Dunkerque, その後 La Souterraine で経済学の先生としてのキャリアをスタートしました。その後、精神に不調をきたし仕事をやめ、パリにやってきたのが1990年のことだそうです。
詩人として、パフォーマーとして
1990年からパリで執筆活動を始めましたが、91年にはマルセイユに住み、ポエジーに専念します。この間、多くの詩人や出版社にテクストを送り、コンタクトを取っています。
1992年からは当時フランスでも盛んだった「パフォーマンス」にも関心を示します。93年、再びパリに戻ったタルコスは、ベルナール・ハイツィック(フランスの現代詩人。パフォーマンス、音声詩で有名)を証人として、ヴァレリー・バンダヴィドと結婚します。以後、タルコスはテクストの出版、朗読や即興パフォーマンスを精力的に行います。特にパフォーマーとしての活動は、フランスだけでなく、ブリュッセル、ジュネーヴ、ローザンヌ、ローマ、ロッテルダム、オックスフォード、リスボン等々でも行われました。
ポエジーと音楽、即興、声の問題
タルコスは音楽鑑賞なしに生きることができなかったと言われているほど音楽を愛していて、特に現代音楽のコンサートに通っていたり、ラジオから流れる音楽をカセットに録音していたようです。また、ツールドフランスやサッカーのワールドカップにも熱をあげていたとのこと。
1998年から、彼のエクリチュールはより一層密度の高いものになっていきます。「パトゥモ Patmo」(« pâté-mots » ?) という独自の概念を磨いていくのもこの時期からです。この概念はタルコスを理解する上で非常に重要そうなのですが、まだ語れるほど自分が詳しくないのでこれから勉強しようと思います。
また、彼の朗読はより即興性を増していき、聴衆を前にして、生の声をリアルタイムで届けるということに注力しました。タルコスはポンピドゥ・センターで2001年に行われた Revues parlés に関わる即興のソワレに参加する予定でしたが、病気のためそれはついに実現しなかったようです。
1990年代のフランス詩
1995年以降、フランス現代詩を語る上で重要な作品が続けて発表されたと言われています。クリストフ・タルコス『ウィ』は1996年に出版されます。ナタリー・カンターヌ 『靴』(Nathalie Quintane, Chaussure)が1997年、シャルル・ペヌカンの『内側』(Charles Pennequin, Dedans)が1999年に出版されます。また、フィリップ・ベックの『Garde-manche hypocrite』も1996年出版です。
この辺りは80年代末の政治的、イデオロギー的、文化的コンテクスト(たとえばミッテラン政権のコアビタシオン、マーストリヒト条約とEUの発足等)を踏まえて考え直さないといけないでしょう。
雑誌への関心
また、クリストフ・タルコスは多くの雑誌創刊に携わったことでも知られています。ステファン・ベラール(Stéphane Bérard)とナタリー・カンターヌとともに『RR53』、カタラン・モルナー(Katalin Molnàr)と『Poèzie Prolétèr』、シャルル・ペヌカンとヴァンサン・トロメ(Vincent Thlolomé)と『Facial』を作りました。また、フィリップ・ベックの『Quaderno』誌にも積極的に関わっていたようです。
クリストフ・タルコス(Christophe Tarkos)の作品
クリストフ・タルコス(Christophe Tarkos)は、1990年から没年の2004年まで多くの作品を出版しています。
私が気になっているタルコスの詩学は「反芻」(rumination)と呼ばれたりします。
たとえば oui の中の « F » と題されたパートからの一節。
Ce qui est est d’être enfermé dans ce qui est. Ce qui est ferme la fermeture. La fermeture enserre ce qui voudrait être. Ce qui est est sans ouverture. Ce qui est ne s’ouvre pas. Ce qui est n’a pas d’ouverture. (Écrits poétiques, P.O.L, 2008, p. 171.)
あるものはあるものの中に閉じ込められているということだ。あるものは閉めることを閉める。閉めることはありたいものを取り囲んでいる〔閉じ込める〕。あるものに開くことはないのだ。あるものは開かない。あるものは開くことをもたないのである。(拙訳)
難しいですね。
« Ce qui est » と « fermer » いうミニマルな一節が飲み込まれては口の中に戻され、それから再び飲み込まれていく。このような反復がタルコスの作品にはよく見られます。こうした作風を「言葉の咀嚼」(« mastication verbale »)と呼ぶ人もいるようです(参考リンク)。いずれにせよ、言葉の音や形、すなわち言葉のマテリアリテ(物質性)に対する関心があることがわかります。
言葉のマテリアリテ(物質性)に注目しつつ、言語に抗するポエジーを生み出すという手法は、ガートルード・スタインやサミュエル・ベケット、あるいはフランシス・ポンジュやジャック・プレヴェールなどを私たちに思い出させるでしょう。あるいはジョルジュ・ぺレック、それから全然知らなかったのですがオスカー・パスティオール(Oskar Pastior、ルーマニア出身のドイツ語詩人)といったウリポに関わりのある作家を思い出しても良いかもしれません。
少しアクロバットですが、レトリスムやテルケルなどのグループとの関わりも考えてみたいなと思いました。
また朗読、パフォーマンスというと、鈴木雅雄先生の仕事で日本ではだいぶ有名なゲラシム・ルカや、アンリ・ショパン、ベルナール・ハイツィック、ジュリアン・ブレーヌらも意識されていることでしょう。言語がテクストの外部へと抜け出ることなく、ただそこで「咀嚼」されつづけるというタルコスの作風は、声や口頭性の観点から非常に興味深いので、いつかうまくまとめて何かを書くことができたらなと思います。
主要参考文献
タルコスを知ってもらうためにおすすめの本をビブリオグラフィー・セレクティヴとしてまとめました。とりわけ2019年に出版された比較的新しい(3)Le Petit bidon はタルコスの詩作品にポケット版の本で触れられるのでおすすめです。
- Christophe Tarkos, PAN, P.O.L, 2000
- Christophe Tarkos, Écrits poétiques, P.O.L, 2008
- Christophe Tarkos, Le Petit bidon et autres textes, P.O.L, 2019
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