セルジュ・ゲンスブール没後30年について

セルジュ・ゲンスブール没後30年について

ボンジュール、パリパリマセマセのたーしーです。

今日知ったのですが、セルジュ・ゲンスブールが亡くなってから30年とのこと。この偉大な音楽家は1991年3月2日に亡くなりました。2021年の3月2日、フランスの多くのメディアで彼についての特集が組まれていました。記事を読んだり映像を見たり、今日はゲンズブールについて少し思い出していました。

セルジュ・ゲンスブール没後30年企画で興味深かったもの

没後30年ということで色々な企画・ニュースがありました。たとえばフランス・アンフォのこの記事は新しい楽しみを与えてくれました。

パリ:ゲンスブールの死から30年、美術館が彼の家でオープンする予定

https://www.francetvinfo.fr/culture/musique/chanson-francaise/paris-30-ans-apres-la-mort-de-gainsbourg-un-museeva-ouvrirchez-lui_4316789.html

セルジュ・ゲンスブールの家は7区にあります。住所は、5 bis rue de Verneuil です。セルジュとともにジェーン・バーキンおよび三人の娘たち(ケイト・バリー、シャルロット・ゲンズブール、ルー・ドワイヨン)がここで暮らしました。そんな彼の家を美術館にする計画が進行中のようです。

家の壁に描かれた彼のグラフィティは、今もなお残されています。今日たまたま近くにいたので寄ってみたら、さすがにたくさんの人が壁の前に集まっていました。せっかくなので写真を撮ったのですが、あまり上手くなくてすみませんorz

ゲンスブールの家

それからこの記事。

セルジュ・ゲンスブール、死後30年、リムーザンとの関わりに立ち返る

https://france3-regions.francetvinfo.fr/nouvelle-aquitaine/haute-vienne/limoges/serge-gainsbourg-30-ans-apres-sa-mort-retour-sur-ses-liens-avec-le-limousin-1977664.html

ロシア系の両親を持ち、ユダヤ信仰のあったゲンスブール家。セルジュは1928年4月2日パリ生まれですが、第二次世界大戦中は検挙から逃れるためにリムーザンに避難していたとのこと。本企画では、セルジュ・ゲンスブールとリモージュサン=シールの関わりをたどる構成で、第二次世界大戦下のゲンスブールについて教えてくれます。

セルジュ・ゲンスブールとの思い出

少し自分語りもしてみましょう。もう10年近く前のことですが、その頃からフランス詩が好きだった私は、せっかくなのでフランス語のポップスでも聞こうと近所のツタヤにいました。といっても地方のツタヤでのレンタル、英語のCDはまだしも、フランス語のCDなどほとんどありません。そこでたまたま見つけたのが『ゲンスブールを歌う女たち』。ゲンスブールが書いた曲を歌う女性歌手から編まれたコンピレーションアルバムでした。選択肢も多くなかったので、それを借りて帰りました。


 

一曲目はジェーン・バーキンの「無造作紳士」(L’aquoiboniste)だったと思います。”C’est un aquoiboniste”からはじまる歌詞が印象的で、儚げなメロディーも当時の私の趣味に合いました。”À quoi bon ?” という表現はこれで覚えました。

他の楽曲についてはよく覚えていないのですが、フランス・ギャル「夢見るシャンソン人形」(Poupée de cire, poupée de son)や、フランソワーズ・アルディ「さよならを教えて」(Comment te dire adieu)等の有名な楽曲が含まれていたのではないかと思います。アンナ・カリーナ「太陽の真下で」(Sous le soleil exactement)は収録されていたかな、どうだったろうか。

当時は全然フランス語ができなかったので歌詞の内容とかはほとんど理解していなかったに等しいですが、それでも印象に残っているゲンスブールの曲はいくつもあるのがすごいところです。

ゲンスブールの歌詞について

ゲンズブールの書く曲というと、どうしても「性」の問題から切り離せないような気がしてしまいます。たとえば「リラ駅の切符切り」(Le poinçonneur des Lilas)、フランス・ギャルが歌う「アニーとボンボン」、そしてジェーン・バーキンとゲンスブールが一緒に歌う「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」などを思い出してください。スキャンダルになることを約束された歌詞であることに間違いはないですが、先にも書いたように、一度聞くと今後絶対に忘れられない魔力があるように思います。

私はフランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」の歌詞が好きです。

Sous aucun prétexte / Je ne veux / Avoir de réflexes /Malheureux / Il faut que tu m’expliques / Un peu mieux / Comment te dire adieu

どんな場合でも、私は不幸そうな反応をしたくないの、あなたは私にせつめいすべきね、もっと上手に、どうすればあなたにさよならを言えるの

上の引用で下線を引いた箇所は “ex”(エクス)と発音し、アルディが歌うときはここで1ヴァースが区切られます。この”ex”(エクス)という響きが反復されることで、おそらくこの曲の宛先である「昔の恋人」が強く印象づけられます。なぜなら、フランス語で「昔の恋人」は ex amoureux (se)で日常会話では、mon ex, ton ex のように amoureux 抜きで使われるからですかならずしも直接それを示すのではなく、歌詞に散りばめたいくつもの語で曲の主題を補強するという、ゲンズブールの天才の一部分を読み取ることのできる素晴らしい詩だと思います

おわりに

没後30年ということもありセルジュ・ゲンスブールについて思い出してみました。そして彼の曲を、詩を読みながら、もっと聴き込みたいと思いました。

当時、プレヴェールをはじめとしたいわゆる「シャンソン」がフランスの歌謡曲の主流であったのに対して、ゲンスブールの音楽はアップ・テンポで、歌詞の文字数も多いものだった。もちろん反発もあったようだが、ゲンスブールを支持する若者も非常に多かったようです。彼の音楽、そしてテクストが以後のフランス文学に与えた影響ももしかしたら少なくないのかもしれません。

セルジュ・ゲンスブールはモンパルナス墓地に眠っています。この墓地は、奇しくも、私に影響を与えた詩人のひとりが眠る場所でもあります。近いうちに、散歩がてらセルジュに挨拶してこようと思います。