「その光を消す 見捨てられた火」アレハンドラ・ピサルニクについて
- 2021/02/16
- 文学・詩など
ボンジュール、パリパリマセマセのたーしーです。
先週と比べて今週は暖かいようで助かります。その分、寒暖差(?)のせいか少し疲れが出ているので、今日はフランス語ではなく、気分を変えてスペイン語の詩人を紹介したいと思います。
といっても、私もスペイン語の詩を読み始めて日が浅いので全然わからないことばかりです(そもそもスペイン語のレベルが未熟)。このブログ記事を読んだ方でスペイン語の詩に興味がある方、色々と教えてください。
さてそんな私が気になるスペイン語詩人の名前は、アレハンドラ・ピサルニク(Alejandra Pizarnik)です。案の定日本語で全く情報のない詩人の紹介となりますが、ぜひお付き合いください。
アレハンドラ・ピサルニク(Alejandra Pizarnik) 略歴
20世紀アルゼンチンの女性詩人
アレハンドラ・ピサルニクはアルゼンチンの女性詩人。アルゼンチンのアベジャネーダに1936年4月29日に生まれ、1972年9月25日にブエノスアイレスで亡くなりました。中央ヨーロッパからアルゼンチンにやってきたユダヤ系移民の家庭で育ったようです。
1954年、彼女はブエノスアイレス大学の哲学科に入ります。しかし最終的には大学での学業を放棄し、フアン・バトジェ・プラナス(Juan Batlle Planas)というシュルレアリスム的な作風で知られる画家のアトリエで仕事をすることになります。この頃には文学に身を捧げたいという情熱が高まっており、1955年には、処女作『最もよそよそしい土地』(La tierra màs ajena)を19歳で上梓します。
1960年から64年までアレハンドラ・ピサルニクはパリに滞在し文壇に関わりを持ち始めます。交流があった作家としては、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ、オクタビオ・パス、フリオ・コルタサルらがいました。また、パリ滞在中はソルボンヌ大学の講義にも出席していたそうです。
さらに1968年にも、アレハンドラ・ピサルニクはパリとニューヨークに滞在しました。しかしその後は精神に不調をきたし(ブエノスアイレスの精神病院で過ごしていた)、二度に自殺未遂を図ります。1972年9月25日、36歳でピサルニクはこの世を去ることになります。自殺でした。
アレハンドラ・ピサルニク(Alejandra Pizarnik)の作風
孤独、沈黙、そして死
アレハンドラ・ピサルニクの詩は、端的に言ってしまえば暗いものが多いです。そこには孤独や沈黙のモティーフが散りばめられています。また、36歳の若さで自らの命をたったように、彼女は生前から死にとりつかれていたように思われます。いずれにせよ彼女の詩作のテーマについてもっと詳しく考えるためには、詩篇の読みこみと、伝記的情報の整理が必要ですね。
それと、時代は全然異なるのですが、アルゼンチン女性詩人の自殺というと、アルフォンシーナ・ストルニ(1892〜1938年)が思い浮かびます。
またアレハンドラ・ピサルニクが活躍した1955~70年前後は、アルゼンチンにとって、ペロニスモやクーデターや軍事弾圧といった政治的混乱に経済停滞が加わった激動の時代でした。こうした歴史的背景を知ることなしに彼女の詩を読むことは不可能かもしれません。
彼女の核心により接近する試みとして、実際にアレハンドラ・ピサルニクの詩を読んでみましょう。たとえば「別れ(Despedida)」という題の詩は次のようなものです。
Despedida
Mata su luz un fuego abandonado.
Sube su canto un pájaro enamorado.
Tantas criaturas ávidas en mi silencio
y esta pequeña lluvia que me acompaña.
別れ
その光を消す 見捨てられた火。
高らかに歌う 恋する鳥。
たくさんの欲深い人間たちがいる 私の沈黙の中と
私につき従うこの小さな雨の中に。
この詩には、アレハンドラ・ピサルニクのエッセンスが詰まっているような気がします。消えた火。歌う鳥。たくさんの貪欲な人。私の沈黙。そしてタイトルの別れ。一篇の詩を通じて、なんとも言えぬ虚しさに包まれているような気持ちになります。
もう一篇読んでみましょう。「欠如(La Carencia)」という詩です。
La Carencia
Yo no sé de pájaros,
no conozco la historia del fuego.
Pero creo que mi soledad debería tener alas.
欠如
鳥たちについて知らない、
火の歴史について知らない。
でもこう思う 私の孤独は翼をもっていなくてはならなかっただろうと。
アレハンドラ・ピサルニクの詩集のページを捲っていると、フラグメントというか、短い形式のものが多いような印象を受けます。このような形式の問題も、彼女の儚さと関わっているのではないかと思うのはやりすぎでしょうか。今はまだスペイン語を十分に理解できないので、これからもっと語学も勉強して、彼女の詩を少しずつ理解できるようになれれば嬉しいです。
余談ですが、以前友人に「最近、アレハンドラ・ピサルニク読んでるよ〜」と言ったら、
Cool ! C’est pourtant une lecture que je déconseillerais en ce temps apocalyptique.
いいね! でもこの世の終わりみたいなこのご時世に読むのはおすすめしないかな。
と言われました……。
参考文献
- Œuvre poétique, traduit par Silvia Baron Supervielle et Claude Couffon, Actes Sud, 2005
- L’Enfer musical, traduction de Jacques Ancet, Paris, Ypsilon éditeur, 2012
- Poesía completa, Buenos Aires, Lumen, 2016.
論文、書籍、その他なんでも、日本語でのアレハンドラ・ピサルニク情報があったら教えてください 🙂
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