フランス国立図書館の「文学狂人」

フランス国立図書館の「文学狂人」

ボンジュール、パリパリマセマセのたーしーです。私はよく、今のパリで一番ホットなテーマパークに行っています。

BnFに並ぶ人たち

見てください、この行列!!! これぞ、コロナ禍のパリで一番人気の施設こと、フランス国立図書館です!!!

……とまあ寒い冗談はほどほどに、私はよくフランス国立図書館に行くのです。今は10時〜17時の時短営業ですが、利用者が多いので、入館までに写真のように待たなければならないこともあります。氷点下のパリの空の下、行列に並ぶのはさすがに辛かったです。

そうまでして図書館に行き、本を読んだり論文を書いたりしていると、たまに虚しさに襲われることがあります。「文学の研究をしていて、それが将来につながっていくのだろうか」と。そんな時に思い出すのが「文学狂人」(Les fous littéraires)の話です。今日はそんな気持ちを、日記のようにブログに綴ってみました。

「文学狂人」(Les fous littéraires)とは何か

「文学狂人」(Les fous littéraires)とは何か。フランス語版のウィキペディアでは次のように説明されています。

Les fous littéraires sont des auteurs qui n’ont réussi à obtenir aucune reconnaissance, ni par la communauté intellectuelle (sauf pour quelques cas très appréciés), ni par le public, ni par la critique, ni par le monde de l’édition puisqu’ils publient souvent à compte d’auteur, et qu’ils traitent de sujets considérés comme très décalés ou désopilants, sans toutefois que ce soit leur intention. (引用:wikipédia, https://fr.wikipedia.org/wiki/Fou_litt%C3%A9raire)

いちおう翻訳しておくと、「文学狂人とはいかなる、知識人(ただし非常に高く評価されるといういくつかの例は除く)、大衆、批評家、出版業界からいかなる評価も得てこなかった作者たちのこと。その理由として、文学狂人たちは自費出版することが多く、また本人たちの意図せぬものにせよ、場違いだったり滑稽だと思われる主題を取り扱っていたという点が挙げられる」というような意味です。

「文学狂人」(Les fous littéraires)とレーモン・クノー

その起源は1835年にシャルル・ノディエによって作られた文献目録にあるようですが、私がこの言葉を知ったのは20世紀の作家、レーモン・クノーについて調べているときのことでした。

レーモン・クノーは『文体練習』(Exercices de Style, 1947)、『地下鉄のザジ』(Zazie dans le métro, 1959)、『百兆の詩篇』(Cent Mille Milliards de Poèmes, 1961)等の作者として有名ですね。近年も、水声社から新訳が出る等、日本でも盛んに読まれている作家・詩人だと思います。


そのクノーですが1929年にシュルレアリスム・グループから離れると、30年代に入ってから「文学狂人」の研究に着手し、数年かけて当時のフランス国立図書館に保管されていた著作を読み漁る作業に専念していたようです。その過程で、ジャン=ピエール・ブリッセ等、後にアンドレ・ブルトンやジル・ドゥルーズにも言及される詩人が見つかったというわけです。

※クノーと「文学狂人」については、次の論文が勉強になります:中島万紀子「『賢者』と『見者』と『文学狂人』― クノー流ゲームの規則―」、『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第4 4輯・第二分冊、1 9 9 9年;同「政治の無為 無為の政治:レーモン・クノーのふたつの本をめぐって」、『フランス文学語学研究』第20号、2001年。

それで、こういうクノーの話を聞いたりすると、どうしても自分に重ねてしまうわけです。なぜなら私も毎日フランス国立図書館で詩と詩人について調べているからです。

もちろん私は「文学狂人」の調査を目的にしているわけではないですし、そもそもクノーと違い、フランス国立図書館のフランソワ・ミッテラン館に通っています(こちらは1994年に完成)。それでも未だ知られぬ詩と文学に出会いたいという気持ちは彼と共有しているのかもしれません。もっとも私には、あわよくばそういう詩を世界に知らせたいという気持ちがありますが。クノーにもあったのでしょうか。

文学は役に立つのか?

その反面、こういう作業を辛く思うときもあります。法学やマーケティング、工学やデータサイエンスと異なり、文学研究とは孤独な上、終わりのない学問です。そして、それがどう役立つのか説明し難い学問です。事実『文学は何に役に立つのか?』あるいは『詩は何の役に立つ?』なんてタイトルが添えられた本が、近年のフランスではいくつも出版されています

私自身、それを自問しないことがないとは言い切れません。文学に身を捧げる自分こそ、誰からも評価されないまま死んでいく「文学狂人」なのかもしれないと、思うことさえあります。まぁ半分は自己陶酔なのかもしれませんけどね。

Confinement に入る直前、同じ大学の友人もそのことに悩んでいました。「シラブル(音節)を数えて博士論文を書き上げたところで仕事になるのかな。だったら国に帰ってフランス語とスペイン語の翻訳でもやって方がいいんじゃないかって思うよ」という発言が印象的で、ふとしたときに思い出します。

それでも私は詩は「役立つ」し、詩の研究は大事だと思っています

それに、自分の周りに文学好きの友人たちがいて連絡すれば詩や小説の話をすることができる、そういう幸せが確かにあるんだな、と思います。

フランス国立図書館で名も知れぬ作家の書物のページを捲るクノーは、独り何を考えていたのでしょうか。彼のテクストを丹念に追っていけば、新しい発見があるのかもしれません。

BnFの部屋
BnFの部屋