【フランス日記】ミモザと回文と友人との再会について

【フランス日記】ミモザと回文と友人との再会について

ボンジュール、パリマセのたーしーです。もう二月も終わりというのが信じられません。こんな日こそ、なんだかブログを書きたくなります。というわけで、とりとめもない文章で、自分のなかでなにかオカルト的なつながりを感じる二月の出来事について書いてみました。

「2022年2月22日」という回文について

日本では年月日を「2022年2月22日」と表記するわけだが、フランス語では「22日2月2022年」と表記する。”Le 22 février 2022″ という風に書くのである。

これをアラビア数字で書くと、”22/02/2022″ となる。するとあら不思議。逆から読んでも “22/02/2022” となるのである。つまり、今日は珍しく、回文となる日付なのだ。

ちなみにフランス語で「回文」は “Palindrome” と言う。ギリシャ語由来の言葉で、πάλιν / pálin が「後ろに」(« en arrière »)、δρόμος / drómos 「道」(« chemin, voie »)を意味するらしい。

ちなみにフランス語の Palindrome として有名なのが “La mariée ira mal” というもの。ハイネの名言よろしく、結婚とはどこの国でもままならないものらしい。

ミモザについて

先日ほーしーが、マルシェでミモザを買ってきた。ブーケで買って5ユーロだったらしい。相場はわからないが、安かったのではないかと思う。おかげさまで、我が家はミモザの甘い香りで満たされている。

ところで調べてみると、ミモザには花言葉がたくさんあるようだ。「感謝」 、「優雅」「真実の愛」、「ひそかな愛」(ひとつ前のと矛盾しているじゃん! と思わなくもない)等々。そのうちのひとつは「友情」らしい。「友情」を花言葉としてもつミモザを眺めながら、そういえば先月と比べて、二月は多くの友人と会ったなぁとぼんやりと考えている。

2022年2月という再会に溢れた月について

ここで、ミモザの話題から友だちの話題へと移すといかにも無理矢理な感じがするが、二月にたくさんの友人と会ったは事実である。より厳密に言えば、多くの再会があったのである。

まず、博士論文の審査会のために日本からパリに来ていた友人に会った。私がパリに到着して以来本当にお世話になった友人のひとりで、再会は非常に喜ばしいものだった。

次に、同じく博論審査会のために日本からやってきて、いまパリに滞在している友人にも再会できた。私は彼のファン(?)であるので、久しぶりのお喋りは楽しく、満足のいくものだった。

以上の二人は離れていてもたまにやり取りしていたのだが、普段あまりメッセージのやり取りをしない友人にも再会したのがこの二月の奇妙なところである。

はじめに、上述の博士論文審査会をきっかけに、再会できた友人が数名。そのうちひとりは東京にいた頃から色々話す仲だったのだが、コロナ禍も重なり、二年ほどなかなかそういう機会を持てずにいた。そんな彼と、久しぶりに会話できたのは良かった。

それからオンラインで開催している哲学・思想の勉強会で、これまた二年ぶりに友人と再会した。気になりつつもお互いのことを報告し合う機会がなかなかなかったため、再び言葉をかわすことができて嬉しく思う。

そして本日、さらに奇妙な出来事が起きる。国立図書館のお手洗いに、なんだか見たことのある顔の人がいる。ええっと、誰だったかな。ああ、日本の大学にいたときのひとつ下の学年の後輩のような気がする。どうしよう、声をかけようかな……。ええい、間違っていたら謝ればいいや。知り合いを無視するのも嫌だし、声をかけてしまえ。

たーしー
たーしー
あの……○○君ですか?

え……ひょっとして、たーしーさんですか。
昔の後輩の人
昔の後輩の人

こんな具合に、五年だか六年ぶりに後輩と再会したのである。

もともと特別仲が良かったわけではないのでたったこれだけの会話だったけれども、結局パリにいるのかどうか謎だった彼にこうして再会するのは奇妙で、面白かった。

以上の再会はどれも偶然に過ぎないと考えるのが普通である。だが、こうした再会とテーブルに飾られたミモザは果たして本当に無関係なのだろうか? ひょっとするとこれらの再会は、我が家にやって来ることになるミモザ(”les mimosas qui seront venus chez nous”)によって運命づけられていたかもしれない。そんな風にさえ思えてくるのである……。