十日遅れのバレンタイン〜Dragobete(ドラゴベーテ) の祝祭〜

十日遅れのバレンタイン〜Dragobete(ドラゴベーテ) の祝祭〜

ボンジュール、パリパリマセマセのたーしーです。バレンタインデーから10日後の2月24日。実はこの日、ルーマニアのバレンタインデーなのです。その名も Dragobete (ドラゴベーテ) と言います。あまりフランスと直接関係はないですが、せっかくなので、ルーマニアの伝統的なこの祝祭について書いてみました。

Dragobete (ドラゴベーテ)とは

若い男女が出会うための日

昔、このドラゴベーテの日は、若い男女が出会うための日でした。出会いの場は教会の前。その日は一番のおしゃれをしてやってきて、カップルになると、そのまま一緒に春のお花を探しに森や野原に出かけるのです。その後、カップルで村の丘で焚かれている火のまわりに座り込み、二人でお話をするそうです。

お昼には、娘たちは村を走り回り、恋人の男に追いかけられたそうです。もし男の足が速く、娘を捕まえることができたなら、娘は村のみんなの前でキスをすることになっていました。ドラゴベーテは、カップルの愛情を公にする機会だと考えられていたとのことです。

古代ローマのLupercaliaI(ルペルカーリア)と似ている?

ところで、このドラゴベーテのお祭りですが、古代ローマの LupercaliaI(ルペルカーリア)に似ているなぁと思いました。ルペルカーリアはバレンタインデーの源流となった祝祭で、結婚や男女の恋愛に関わりのあるものでした。そういうわけで、バレンタインデーもドラゴベーテも、二つとも同じルペルカーリアの祭から派生してできたわけです。

では二つの何が違うのかと言うと、バレンタインデーはキリスト教から生まれドラゴベーテはダキアの文化から生まれたという点です。ダキアとは古代ローマ帝国の地方名で、現在のルーマニアのこと。この意味で、ドラゴベーテはルーマニアの伝統に根付いたお祭りであると言えるわけなんですね。

Dragobete (ドラゴベーテ)にまつわる習慣や信仰

さて、話をドラゴベーテそのものに戻しましょう。残念ながら今では時間の経過とともに消え去ってしまったものがほとんどですが、かつては地方ごとに、ドラゴベーテのお祭りにまつわるたくさんの習慣や信仰がありました。

たとえばドラゴベーテは愛を営む日なので、その日は動物の殺生が禁じられていた地域があったようです。

また、伝統的にこの日は、男性が女性を不快にしてはならないと決めていた地域もあったようです。場所によっては、口論を禁じていたとか。さらに、これを守らないとカップルの間に不幸が起こるという言い伝えもあったみたいです。したがって、一年を通して愛を育めるように、人々はこの祝祭を楽しみ、その言い伝えを守らねばならなかったのです。

その他の習慣や信仰で興味深いものとしては、次のようなもの。

まず、独身の女性が冬のうちに積もった雪の最後の部分を集めます。次に、それが溶けるのを待ちます。そうして流れで出た水は奇跡をもたらすと評判だったそうです。溶け出た水は、媚れ薬(philtre d’amour)身体のお手入れに使われたそうです。

ちなみにこの積もった雪の最後の部分は「妖精の雪」( « la neige des fées »)と呼ばれていたようです。ロマンティックな呼称ですね。

おわりに

知り合いに教えてもらった情報によると、ルーマニアでバレンタインデーを祝うようになったのは90年代初めのこと。しかし上述したようにバレンタインデーはキリスト教から生まれ、ルーマニアにとっては西欧ないしアメリカから伝来したものでした。しかも現代のバレンタインデーは商業的な性格も強いです。したがって最近では、商業化された祝いではなく、伝統的なドラゴベーテを祝うという新しい動きがルーマニアにあるらしいです

実際、バーやクラブがこのドラゴベーテをテーマとしたイベントを企画したり、メディアも国民にこの祝祭の記憶を留めてもらえるようにキャンペーンを打ち出したりしているのだとか。ルーマニアに限らず、フランスでも日本でもそうですが、伝統的なお祭りがなくならないといいなぁと思います。

ペレシュ城

写真はルーマニアのシナヤという街にある「ペレシュ城」。いつかまたルーマニアに行きたいな。